 | 12/05/21 | 語りのある街 |
| 語りのある街(25)・・・高田馬場、東京
<鉄腕アトムの街、高田馬場>
鉄腕アトムは、2003年4月7日に高田馬場で誕生。
未来小説の作者、手塚治虫(てづかおさむ)さんは、1976年に
高田馬場にスタジオを構えました。そして、この地で、数多くの名作を
産み出しましたが、鉄腕アトムは、2003年4月7日に高田馬場で
誕生という設定です。
“鉄腕アトム”は、1952年4月から1968年にかけて、“少年”(光文社)
に連載され、1963年から1966年にかけて日本で初めての国産テレビ
アニメーションとして放映されました。
原作の設定では、このアニメの製作が開始された1952年から見て、
約50年先の未来、2003年4月7日がアトムの誕生日になっています。・・
空を越えて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
こころやさし ラララ 科学(かがく)の子
十万馬力だ 鉄腕アトム
このテーマソングの作詞は、谷川俊太郎さん、作曲は、高井達雄さんです。
鉄腕アトムのストーリーは、アトムの製作から始まります。
アトムの製作者は、天馬博士(てんまはかせ)という優秀な技術者。
彼は交通事故で亡くした自分の子、飛雄(トビオ)に似せたロボットを
つくります。
このロボットは従って、当初は“トビオ”と呼ばれていました。
トビオは人間とほぼ同じ感情とさまざまな能力をもっています。
しかし、人間のように成長しないことに気づいた天馬博士はトビオを
サーカスに売ってしまいます。
(写真は、「みみずく土偶」 ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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やがて感情をもつロボットに対して、社会で人間と同じように暮らす
権利が与えられるようになっていきます。このとき、アトムの可能性に
着目したのが、科学省長官の“お茶の水博士”でした。
お茶の水博士は、アトムに情操教育をすすめていくためにロボットの家族と
家を与えます。アトムは人間の小学校に通わされるようにもなります。
学校での生活は平たんではなかったのですが、やがて同級生たちと仲良く
やっていけるようになります。アトムの性格は真面目です。そして正義感が
強く、そのため、時に、ロボットである自分に苦悩することも多いのです。
ところで、アトムは7つの力をもっています。
第1に、核融合ジェット噴射により最大マッハ5で空を飛ぶことができます。
第2に、60ケ国語を自由に話すことができます。
第3に、人間の善悪を判断することができます。
第4に、聴力(ちょうりょく)は人間の1000倍です。
第5に、眼がサーチライトになります。
第6に、お尻からマシンガンを発射します。
第7に、10万馬力(ばりき)をもっています。
そして、アトムの電子頭脳(CPU)の記憶容量(きおくようりょう)は
15兆8千億ビット(約1844ギガバイト)です。
このような能力をもつアトムですが、その身長は135センチ、体重は
30キログラム。そして赤い靴をはいていて、歩くとピコピコという
音がでます。
また、アトムの髪型は、作者である手塚治虫さんのくせ毛がモデルに
なっていると言われています。
(写真は、組木「Moon」ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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一方、“鉄腕アトム”のストーリーでは、ロボット法が制定されます。
これは、ロボットに人間に準じた権利と地位を保証するものです。
また、ロボットが守るべき義務も定めています。
実際、お茶の水博士がサーカス団からアトムを引き取ったのも、
この法律の制定の結果であるとされています。
以上が“鉄腕アトム”のストーリーの概要ですが、このストーリーは
初めから社会にすんなりと受け入れられたものではありませんでした。
そこには、固定観念の強い人びとなどからの批判、中傷(ちゅうしょう)
がありました。
創作者の手塚治虫さんは次のように語っています。
“鉄腕アトムを描きはじめた1951年頃は、この作品に対する父母や
教育者の批判はまことにすごいものでした。
荒唐無稽(こうとうむけい)だという指摘がいちばん多く、
‘ロボットなんて出来るはずないじゃないか’
‘日本に高速道路や高速列車なんてつくれるはずがない’などと、
非難の嵐でした。
“そして手塚はあり得ないでたらめな話を描く、子供たちの敵だ、
ということになりました。ちょうど当時、北海道かどこかでアトムの
真似をして、二階から飛び降りて大けがをした少年の事件があって、
これが新聞に大々的に発表され、有識者(ゆうしきしゃ)はいっせい
に、それみたことかとマンガの罪悪について書きたてました。
“ぼくは、ぶっつけられてくる非難を母に言われたとおりに我慢して
目をつぶりながら、荒唐無稽と言われるものを描き続けました。
“この状態は、あらゆる分野の子供をめぐる文化財のなかで現在も続いて
います。とくにマンガは本来、感性的なメディアで、理論やリアリズム
に束縛(そくばく)されてはロマンも描けないのです。
(写真は、「裸婦土偶」 ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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“子供はその点、感性的な力は大人よりずっとすぐれています。
だから描く夢やロマンは、ばかばかしい内容です。マンガ家の夢や
ロマンとどこか通じています。
マンガ家が子供っぽいのかもしれませんが。
“それを親が、こんなばかばかしいことをとか、こんなできもしない
ことをとか言って摘み取ってしまう。それは大人の子供文化への論理
であって、言うなれば大人のファシズムです。”(手塚 1997)
ちなみに、現在の日本のロボット工学者たちの多くは、幼少時代に
「鉄腕アトム」に触れています。そして、それが、ロボット技術者を志す
きっかけになった人たちも多いと言います。日本の高水準のロボット
技術力の背後には、この作品の貢献があったようですね。
一方、晩年の手塚治虫さんは、次のように語っています。
“これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつは
たいへん迷惑していることがあります。
“というのは、ぼくの代表作と言われる“鉄腕アトム”が、未来の世界
は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げている
ように思われていることです。
“アトムは、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を
置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんな
に深い亀裂(きれつ)や歪み(ゆがみ)を社会にもたらし、差別を生み、
人間や生命のあるものを無残に傷つけていくかを描いたつもりです。・・
“十万馬力の正義の味方<鉄腕アトム>も、科学至上主義(しじょう
しゅぎ)で描いた作品では決してないことは、よく読んでいただけば
わかることです。・・・つまり、<鉄腕アトム>で描きたかったのは、
一言でいえば、科学と人間のディスコミュニケーションということです。
(写真は、「合掌土偶」 ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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