 | 12/01/26 | 語りのある街 |
| 語りのある街(12)・・・内幸町、東京
<鹿鳴館の街、内幸町(うちさいわいちょう)>
鹿鳴館(ろくめいかん)と言えば、1880年代の外交の華の舞台。
幕末に江戸幕府が結んだ西欧列強との不平等条約の改正を促進するため、
外務卿(外務大臣)の井上薫を中心として、明治政府が宴席外交の場と
して設けた社交場です。
ここでは、ヨーロッパやアメリカの教育を受けた乙女たちが、その英語、
フランス語、ドイツ語のタレントと舞踏の技を巧みに生かし、舞踏会の
華として鹿鳴館を彩りました。
この舞踏会の様子を伝えるお話に、芥川龍之介の<舞踏会>があります。
龍之介は、語ります。
明治19年(1886年)11月3日の夜であった。
当時、17歳だった----家(け)の令嬢明子は、頭の禿げた父親と一緒に、
今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上って行った。・・・
明子は、夙に(つとに)フランス語と舞踏との教育を受けていた。
が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであった。・・・
彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落ち着かない
心もちが根を張っていた・・・
が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件
に遭遇した。というのは、階段のちょうど中ほどまで来かかった時、
二人は一足先に上って行く支那(しな)の大官に追いついた。
すると、大官は・・・呆(あき)れたような視線を明子へ投げた。
初々しい(ういういしい)薔薇色(ばらいろ)の舞踏服、品よく
頸(くび)へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂(にお)って
いるたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪
(べんぱつ)を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女
の美を遺憾なく備えていたのであった。・・・
(写真は、ひよこ卵「ヨーク」 ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れていた。
そうしてまた至る所に、相手を待っている婦人たちのレエスや花や
象牙(ぞうげ)の扇が、爽(さわ)やかな香水の匂い(におい)の中に、
音のない波の如く動いていた。
明子はすぐに父親と分れて、その綺羅(きら)びやかな婦人たちの
或(ある)一団といっしょになった。・・・彼らは彼女を迎えると、
小鳥のようにさざめき立って、口々に今夜の彼女の姿が美しい事を
褒め立てたりした。
が、彼女がその仲間へはいるや否や、見知らない仏蘭西(ふらんす)
の海軍将校が、何処からか静かに歩み寄った。そうして、両腕を垂れた
まま、丁寧(ていねい)に日本風の会釈をした。明子はかすかながら
血の色が、頬(ほお)に上(のぼ)って来るのを意識した。・・・
その仏蘭西(ふらんす)の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮かべ
ながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はっきりと彼女にこう
いった。
“いっしょに踊っては下さいませんか。”
間もなく明子は、その仏蘭西(ふらんす)の海軍将校と、「美しく
青きダニゥブ」のヴァルスを踊っていた。相手の将校は、頬(ほお)の
日に焼けた、目鼻立ち(めはなだち)の鮮(あざやか)な、濃い口髭
(くちひげ)のある男であった。
彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋を嵌(は)めた手を預(あず)くべく、余りに背が低かった。が、場馴(ばな)れしている海軍将校は、
巧みに彼女をあしらって、軽々と群衆の中を舞い歩いた。そうして時々
彼女の耳に、愛想の好い仏蘭西語のお世辞さえも囁(ささや)いた。・・・
しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動
に注意しているのを知っていた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、
如何(いか)に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があったかを語るもので
あった。
(写真はLADY ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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| <鹿鳴館の街、内幸町(うちさいわいちょう)>
こんな美しい令嬢(れいじょう)も、やはり紙と竹との家の中に、人形の
如く住んでいるのであろうか。そうして細い金属の箸(はし)で、
青い花の描(か)いてある手のひらほどの茶碗(ちゃわん)から、米粒を
挟んで食べているのであろうか。---彼の眼の中にはこういう疑問が、
何度も人懐かしい(ひとなつかしい)微笑と共に往来するようであった。
明子にはそれが可笑(おか)しくもあれば、同時にまた誇らしくもあった。
・・・
やがて相手の将校は、この児猫(こねこ)のような令嬢の疲れたらしい
のに気がついたと見えて、いたわるように顔を覗(のぞ)きこみながら、
“もっと続けて踊りましょうか。”
“ノン・メルシイ。”
明子は息をはずませながら、今度ははっきりとこう答えた。
するとその仏蘭西の海軍将校は、まだヴァルスの歩みを続けながら、
・・・壁側(かべぎわ)の花瓶の菊の方へ、悠々と彼女を連れて行った。
そうして最後の一回転の後、其処(そこ)にあった椅子の上へ、鮮に
(あざやかに)彼女を掛けさせると、自分は一旦(いったん)軍服の
胸を張って、それからまた前のように恭(うやうや)しく日本風の
会釈をした。・・・
仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行って、いっしょに
アイスクリームの匙(さじ)を取った。彼女はその間にも相手の眼が、
折々彼女の手や髪や水色のリボンへ注がれているのに気がついた。・・・
が、或刹那(あるせつな)には女らしい疑いも閃(ひらめ)かずには
いられなかった。・・・独逸人(どいつじん)らしい若い女が二人の
傍(かたわら)を通った時、彼女はその疑いを仄(ほの)めかせる
ために、こういう感嘆の言葉を発明した。
“西洋の女の方はほんとうに御美(おうつく)しゅうございますこと。”
(写真は仮面土偶、ネットショップ ザ・ケンムンへ)
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海軍将校はこの言葉を聞くと、思いの外真面目(まじめ)に首を振った。
“日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは---”
“そんな事はございませんわ。”
“いえ、御世辞ではありません。そのまますぐに巴里(パリ)の舞踏会
へも出られます。そうしたら皆が驚くでしょう。ワットオの画の中の
御姫様のようですから。”
明子はワットオを知らなかった。・・・
が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリームの匙を動かしながら、
“私も巴里の舞踏会へ参って見とうございますわ。”
“いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。”
海軍将校は、こういいながら、二人の食卓を巡っている人波と菊の花とを
見廻したが、忽ち(たちまち)皮肉な微笑の波が瞳(ひとみ)の底に
動いたと思うと、アイスクリームの匙を止めて、
“巴里ばかりではありません。舞踏会は何処(どこ)でも同じ事です。”
と、半(なか)ば独り語(ごと)のようにつけ加えた。・・・
・・・
(写真はやぎ「ニゴ」ネットショップ ざ・ケンムンへ)
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